NOJIが行く

2020年05月

今日の楽曲


ふきのとう「雨はやさしいオルゴール」

5月も今日で終わり 明日から6月です。
東京地方は、どんよりとした曇天
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時折、雨が落ちて…
雨のシーズンに突入となりそうです。

風が吹けば、桶屋が儲かる…
雨が降れば、タクシーが儲かる❗️

1年を通して、この時期が一番忙しくなります。
緊急事態宣言も解除され徐々に街の活気が戻ってきました。

ここ数ヶ月の落ち込みを挽回するチャンスですが…
でも緊急事態宣言が解除されたから、もう安心❗️では無いと思う。

今日、サザエさんの町、桜新町では人気のカフェやパン屋さん、花屋さんなどで
密集を通り越して大混雑になっていました。(新年の初売りみたい!)

こういうの見ると第2波、第3波もそう遠くないうちにやってきそうですね。

緊急事態宣言が解除されたからと言って、コロナウイルスが無くなった訳では無いのにね(苦笑)
ここが日本人の悪い所…
お得意の自分さえ良ければそれでいい的考え炸裂だな…

せっかく自粛して、いっぱい我慢しても全部無駄になるんだけどなぁ…

今年は、7月と10月に出番調整の10連休があるけど
この調子だと一人旅に出る事もままならないかもしれませんね(泣)

大阪食い倒れツアーを考えていたんだけどなぁ…
お好み焼き食いてぇ〜
蓬莱551食いてぇ〜
串揚げ食いてぇ〜

今日の楽曲


泉谷しげる「春夏秋冬」with小田和正、桑田佳祐、忌野清志郎

こういうセッションも悪く無い!
ジャンルを超えた天才たちが集う贅沢な一時…

鬼才泉谷しげるとの出会いは、小学校の5年の時だった。
中学に上がった2つ上の兄が親戚の叔母さんからギターを譲り受けて
毎日毎日 ジャンジャカかき鳴らして
テレビで見る歌謡曲と一線画した音楽に俺自身も魅了されていった。


人生の春〜
中学に上がり、親戚の叔母さんのギターが俺のところに回ってきた。
この頃流行したのがかぐや姫やウイークエンド、シグナルなどの
いわゆるフォークグループ。
ラジオの深夜放送は、毎晩のように新しい情報を教えてくれる宝箱だった。
古い話で恐縮だが…
TBS系のパックインミュージックで山本コータローとウイークエンドが担当した
金曜パックが好きでした。
意外と知られていませんが、ウイークエンドは「岬めぐり」意外にも
「虹を下さい」「幸せの鐘」「祈り」…名曲をたくさん発表しています。
中坊の俺は、ウイークエンド一色でした。
ある日ウイークエンドが5人6脚コンサートをツアーで行っている事を知るのですが
地方都市金沢には、来てくれなかった…
想いが募り…興味が5人6脚コンサートのメンバーに移行し
ウイークエンド3人とあと2人は誰だろう?
当時、神と崇めていた山本コータローが認めた2人…
それが山木康世、細坪基佳の”ふきのとう”でした。

高校生となり、部活と音楽とバイクが生きがいだった。
ラジオ「大石吾郎のコッキーポップ」がバイブル。
そこで中島みゆき、松山千春、世良公則&ツイスト…と出会う事になりました。
この頃、人前で歌うようになっていたっけ…
人生で一番多感な時期を彩った素敵な音楽と出会えた事が俺の宝です。


激動の夏〜
生きるために働いて、働いて…
いつしか音楽と距離を置いていた時代。
たまに友人の結婚式などで歌う程度…
夢だの希望など考える暇もなかった
人を裏切ったり、裏切られたり…
ずるい奴にいいように利用され…
生も根も尽き果てた暗黒時代。

故郷を離れ
再起を賭けて出てきた東京。

そこで待っていたのが…
辛く苦しい闘病生活。

俺の人生もここまでか…
もう死んでしまおう

精神病院の閉鎖病棟

心を病んだ人たちを見るうちに
このままでいいのか?
このまま埋もれてしまっていいのか?
このまま死んでしまっていいのか?
立ち上がろうとする気持ちと
諦める気持ちが交錯して…
答えが見つからないまま家に帰ってきた。

自問自答を繰り返し…
右往左往しながら出した答え

もう一度…


再び歩き出した秋〜
一歩一歩 歩き始めた俺。
どこに向かおうとしているのか
皆目見当もつかない糸の切れた凧だけど…
外に出てみると無限に広がる空が笑っている気がする。
今思えば、障害を持った事が功を奏したようだ。
老若男女関係なく想いを共有し
励まし合い支え合う仲間が今の宝。

今だから、もう一度って気持ちになれる。
悩み苦しんだ過去に別れを告げて…



今日で全てが終わるさ
今日で全てが変わる
今日で全てが報われる
今日で全てが始まるさ




今日の楽曲


沢田聖子「シオン」


昨日は、楽しみにしていたツイキャスがお休みに…
こういう事を書いてしまうと
かおりんにプレッシャーをかけてしまうけど
プレッシャーをかけるつもりなど毛頭ありません。
後遺症を抱え、不自由な体に鞭打って
俺たちに元気を届け続けてくれている。
そんな彼女を心配しても休んだと文句を言うわけがない。

元気で…無事でいてくれればそれでいい

休んで回復出来るなら
ゆっくり回復に努めればいいんだよ!

俺たちの心の中には
いつもかおりんの歌が流れているからね

かおりんのお部屋では新参者なのに
もうデッカイ顔して騒いでいる俺のリクエストに
答えてくれた…
半崎美子「明日へ向かう人」
この曲は、苦しい時、辛い時に背中を押してくれる応援歌

誰だって辛くて立ち止まる時が必ずあります。
そんな時に無理をしてもいい事ないよ。

立ち止まって、歩いて来た道をもう一度見ると何が見えると思う?

薄い薄い紙を重ねてきた努力の道程が
遥か貴方に続いているのが見えるはず。

一歩一歩積み重ねた結果が
峠の茶屋で一休み出来ている今なんだよ。

頂は、まだまだ雲の上

力を蓄えて
元気を取り戻したら
また歩けばいいじゃん

YANNI「Standing in Motion」
この曲は、俺のモチベーションスイッチ
なぜか身体中に元気が満ちてくる不思議な曲です。

大丈夫!元気になれる!


今日の楽曲


YANNI 「If I Could Tell You」


直訳すると「もし貴方を呼び止めたなら」

最近テレビで話題になっている問題がありますよね。
俺もラジオを始めた頃に平行して
NOJI Project として
ヘルプマーク普及活動を始めました。

当時、ヘルプマークは東京をはじめ僅かな地域でしか配布されていませんでした。
その事に大いなる疑問を抱いた俺は
東京都福祉保健局(ヘルプマークを作り、発給している大元)に問い合わせ
ヘルプマーク普及活動をしたい旨を申し出ましたが
いとも容易く断られました。
理由が笑えるのですが、不特定多数に配布する事が出来ないから必要な方が取りにきて貰えば配布しますと…
障害のある人が不自由な体に鞭打って取りに来いと…
これが行政サイドのスタンスのようでした。

初めのうちは、最寄りの市役所で2〜3枚頂いては
希望される人にお渡しするという事を続けていましたが
(もちろんお金は頂いていません)
とうとう市役所にも在庫がなくなり
立川市にある東京都福祉保健局の分室まで貰いに行く事になりました。

そこで窓口の担当者に改めて相談しました。
日本全国にヘルプマークを普及するお手伝いをさせて欲しいと…

窓口の担当者は、本局の課長に相談し以前と同じ答えだったのですが
こういう方法なら…
と、提案されたのがヘルプマークを必要とされる方の依頼を受けて配布するというものでした。

障害当事者が配布場所に出向く事が難しい場合
代わりの代理人が貰いに行くケースは認められるという事なので
ある程度、依頼をまとめ手渡すなりお送りする事は構わないと言われました。

とうとう東京都福祉保健局からお墨付きを頂けた!
喜び勇んでFacebookやTwitterで希望者に配布しますよと書き込むと…
ヘルプマークが導入されていない地域の方から送って欲しいと
依頼が舞い込んできました。

多分20人ほどにお送りした頃
Twitterで違法にヘルプマークをばら撒いて稼いでいる奴がいると書き込まれ
ダイレクトに誹謗中傷が始まりました。

有りもしない嘘の書き込みが毎日毎日…
挙句にわざわざブログにまでコメントで違法行為をやめろ!
しかるべき所に通報したと…

まぁ、当時ヘルプマークがメルカリで1つ2000円ほどで取引されていましたからねぇ

俺は誰からもお金は頂いていませんが、よくもまぁそんな嘘八百が言えるもんだと感心しました(笑)

それに俺は誹謗中傷程度で負ける玉でもありませんし
どちらかと言えば抗戦的性格の持ち主なので
即座に戦闘モードに切り替えて
書き込みをしてきた奴に喧嘩なら買ってやるぜと宣戦布告!

そしてそいつの書き込みを削除されないようリツイート&シェアしました。
これで名誉毀損の証拠が確保できました。

さぁ出るとこに出て正々堂々と勝負しようぜ❗️と書き込むと…
アカウントごと消えた(爆)

まぁ所詮、誹謗中傷してくる奴は、この程度のクソ。んこ以下‼️

根性のかけらもありません。


それなのに…
誹謗中傷に負けて…
死を選ぶなんて…

どれだけ悔しかっただろう
どれだけ悲しかっただろう

できる事なら呼び止めてあげたかった…

娘を持つ親として
俺が強く生きなきゃならないと心から思いました。

命を落とされた方のご冥福をお祈りします…合掌



今日の楽曲


細坪基佳「ひとりの君へ」



長い坂で 誰もが皆 同じように苦しみ
たった一つの生きがいを探しながら歩き続ける
生きることが とても辛くて立ち止まった日々もある
でも今日から思い出に呼びかけたりはしない…


中学3年の頃
ふきのとうの曲に出会いました。
「雨降り道玄坂」という曲でした。
この時の衝撃が強烈すぎて
40年以上経った今でも傍にいつも流れています。

高校3年だったか4年だったか…
同級生とバンドを結成し
部活の合間を縫って練習していました

その頃は、オリジナル曲とコピーが半々くらい
文化祭でライブやったり
市内の女子校や保育専門学校にお呼ばれして
歌わせていただいたり…
公園でゲリラライブを決行したり…
とまぁ、典型的アマチュアバンド活動でしたね(笑)

5年生になり
就職が決まってバンドは解散
みんなそれぞれの人生を歩き始めました。
ただ…最後っ屁として
ヤマハのポピュラーソングコンテストにチャレンジ!
結果は、言うまでもなく…(苦笑)

ジプシーみたいな人生を歩んできた俺は
これだけ「ふきのとう」の曲を愛し…
ふきのとうの坪さん(細坪基佳さん)をリスペクトしているのに
一度もライブに行ったことがありません(汗)

言い訳ではありませんが
とことんふきのとう、坪さんと縁が無かった…
住まいが何度も変わって…
ふきのとうが金沢に来た時は東京にいたし…
東京でライブがある時、金沢だったり…出張だったり…
府中でライブがあると聞いた時は嬉しかった〜
ようやく40年の時を経て坪さんに会える!
と思ったら、脳出血で倒れ入院…
今年のライブは、コロナで延期…

いつになったら会えるのだろう…

40年も片思い…
幾多の試練を乗り越えて…
それでも変わらない想いがここにある。

会って40年の時間が埋まる日まで…


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